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ゴジラ-1.0の続編ある?ラストシーンで典子の首に痣とゴジラが再生?

ゴジラ-1.0がアカデミー賞を受賞して映画界に歴史を刻んだ山崎貴監督はゴジラを世界的な映画に押し上げました。

ゴジラ-1.0は世界大戦後の日本を舞台として描かれていて、日本が復興していく街を破壊していくゴジラを始末しようにも手に負えず、あらゆる手段を駆使してゴジラを倒して平和を取り戻すという大テーマがあります。

ゴジラは外的に攻撃を受けても細胞が再生して倒すことが出来ないため、ゴジラの内部を破滅させないと倒せないと悟った敷島浩一(神木隆之介さん)がゴジラの口にめがけて戦闘機で特攻することでゴジラを破壊させました。

ストーリーはこれでゴジラを倒す事ができて日本にも平和が訪れてTheEndと観客に思わせましたが、最後のシーンで意味深な場面が展開することによって、ゴジラ-1.0の続編はあるなと思わせましたよね。

ゴジラ-1.0の続編があるという根拠となるシーンと、続編の展開していくストーリについて考察を交えて解説してきたいと思います。

この記事はネタバレの箇所と私的考察で記述しています。ご考慮くださいませ。

目次

ゴジラ-1.0のラストシーンから続編はある?

ゴジラ-1.0の最大の見せ場のシーンとして、敷島がゴジラを倒すために再び特攻隊の任務を果たすために戦闘機に乗ることを決意して、ゴジラの体内に戦闘機ごと特攻するこをを覚悟したシーンですよね。

敷島はゴジラが最大の力を発揮できない状態の時を狙って、ゴジラの口の中へ戦闘機ごと突っ込むことでゴジラの体内の細胞破壊に成功してゴジラは海の中へと沈んでいきました。

敷島は特攻して死んでしまったのか!と見ている人は皆そう思いましたが、戦闘機を整備した戦時中は険悪の仲だった唯一戦闘機の整備が出来る橘宗作(青木崇高さん)が脱出用のパラシュートを備え付けていたのです。

橘は敷島が戦時中にゴジラに攻撃が出来ず仲間の隊員が皆殺されてしまったことを恨み、戦後も会うことのない険悪な仲でしたが、いざ敷島がゴジラに突撃すると決意したことで『生きろ』と脱出装置を付けていたんです。

敷島はゴジラの口内に攻撃すると同時に脱出を図り、生命は助かったという感動的なシーンでエンディングを迎えるものと思っていました。

ところが最後のフィナーレ直前のシーンでは、大石典子(浜辺美波さん)が働きに出かけた銀座でゴジラの襲撃に遭遇してしまい、ゴジラの破壊力で爆風で飛ばされていたのにも関わらず生命が助かって入院していたことがわかります。

典子はあんな爆風で吹き飛ばされながらも、包帯をしている程度の怪我で顔もきれいな状態だったのがありえないと思わせるシーンの後に続編があるなと確信した場面があったんですよね。

ラストシーンで大石典子の首筋に痣が浮かびあがるシーン

引用元 Yahoo知恵袋

続編がある一つ目の理由は、敷島の生命は助かり、死んだと思っていた典子も生命が助かったとハッピーエンドで終わるはずでしたが、典子の首筋に奇妙な黒い痣が浮かび上がってきている意味深なシーンでフィナーレを迎えています。

痣の模様はゴジラに吹き飛ばされた時に、ゴジラから発せられた放射能物質を浴びたからではないかとの見方がされています。

ラストシーンでゴジラが再生を始めている

引用元 GIGAZINE

続編があるもう一つの理由は、敷島が倒したゴジラが海底で細胞分裂を始めているようなシーンで終わっています。

ゴジラは外的な傷害はすぐに細胞を復元するということで、内部を攻撃すればゴジラは倒せるというセオリーで敷島は口内に攻撃を仕掛けたわけですが、本当は蘇ってしまうのでしょうか。

典子はゴジラ細胞に感染して生命をとりとめた?

引用元 note

ゴジラ-1.0の山崎貴監督がインタビューで制作のウラ話をしていますね。

山崎貴監督いわく、典子の首筋に出来た痣は『ゴジラ細胞』であることを断言しています。

もともとは典子はゴジラに襲われた爆風で飛ばされた時に死んでしまったというストーリーで進める予定だったそうですが、死んでしまうのはかわいそうという女性目線の意見を取り入れて生きながらえたという設定になったそうです。

山崎貴監督はそのまま敷島と典子が生きていることを確認して、ハッピーエンドで終わるのは面白くないという考えのもと、最後のシーンで典子の首筋にゴジラ細胞がはびこってくるシーンを入れようと思ったそうです。

ゴジラは攻撃しても何度も生き返る細胞をもっているので、致命的な傷を負った典子もゴジラ細胞に感染したことで生き返り、元の姿のように戻ることが出来たんでしょうね。

しかしながらゴジラ細胞に感染してしまった典子の運命はどのようになってしまうのでしょうか。

【考察】ゴジラ-1.0続編のストーリーは?

引用元 エキサイトニュース

ここからは私的な考察になるのですが、続編があればゴジラは殺された海底で細胞分裂をして元の姿に戻り、倒された敷島を標的に襲撃を再度始めるでしょう。

ではゴジラはどうすれば本当に倒せるのかというところがストーリの焦点になると思いますが、ゴジラ-1.0ではあらゆる手段を講じながらもゴジラを倒すには至りませんでした。

そこでゴジラ細胞に感染した典子にスポットがストーリーの鍵を握ることになるのではないかと思います。

ゴジラ細胞をもった典子は地球上でゴジラの分身となり、地球上のゴジラ細胞からの放射能物質を感知して、ゴジラ自身の細胞を復元出来るのではないでしょうか。

その結果典子は自分がゴジラ細胞に被爆した責任を感じて、自らの生命を犠牲にしてゴジラに立ち向かい、地球上でゴジラ細胞が復元できない平和の世界が取り戻せるというストーリーになるのではないでしょうか。

山崎貴監督がゴジラ-1.0で訴えたかったメッセージとは?

引用元 デイリースポーツ

ゴジラ-1.0を通して山崎貴監督が世の中に訴えたかったことは、まずは生命の尊さだと思います。

セリフの節々に『生きろ』という言葉が出てきます。

現代社会において生命の尊さがおろそかになっているように思えます。

これはネット社会が進むにつれて人と人との関わりが昔よりも少なくなってきていることが要因なのかもしれません。

ゴジラ-1.0ではそういった人と人がお互いに助け合って補い生きていくことを伝えているように思います。

そしてもう一つは世界平和だと思います。

現代でも地域紛争によって多くの罪のない人が無差別で生命を落としている現状が世界中にあり、核兵器によって人類を脅かすような状況になるのも紙一重です。

日本は唯一世界で原爆という核兵器の被害にあった国です。

日本映画だからこそ世界に核兵器の恐ろしさをゴジラ-1.0で表現して世界中に発信することが出来るのだと思います。

いろんな意味を皆さんに汲み取っていただければと思います。一番大きいのは、戦後のゼロ状態になっている日本に、さらにゴジラがやってきてもっと悪化して悲惨な状況になっていく中で、人々がそこからどう立ち上がっていくかという意味での「マイナス」もあります。初代「ゴジラ」の時代よりさらに前の時代なので、そういう意味での「マイナス1」もあります。助走のため――大変なことになりながら、ここから立ち上がるために一度、引くという意味での「マイナス1」でもあります。あるいは、何かを失う「マイナス1」でもあり、いろんな意味を感じて観ていただければと思います。

引用元 東宝

今回のアカデミー賞『視覚効果賞』を受賞したことは、山崎貴監督の想いが世界中に認められた大変意義の深いことだと思います。

長い歴史を持つ「アカデミー賞」の中で、監督として「視覚効果賞」を受賞したのは『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリックのみであり、山崎監督は55年ぶり、史上2人目の受賞監督となった、また、日本映画だけでなく、アジア圏の映画で同賞を受賞した実績はなく、映画の歴史を変える史上初の快挙を果たした。

引用元 OTOCOTO

まとめ

ゴジラ-1.0に続編があるのではないかということについて解説してきました。

ゴジラ-1.0はまだゴジラとの決着がついていないと思われますし、ゴジラ細胞に感染した典子が今後どうなっていくのか大変興味深い疑問もまだ残っています。

今後の続編については私的な見解を交えてきましたが、山崎貴監督が今後どのようなストーリの展開を考えているのかは大変興味深いですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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